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株と為替とは

(英語Matins)本来、日の出前の祈祷であるが、教会の事情によっては時間をずらして前日の夕刻、あるいは当日の早朝に行うことがある。主日祭日の前晩祷は主日祭日の前日に行われる。徹夜祷の場合、晩課から連続して行われる。平日と主日ではその構造は若干異なる。 カトリックの朝課および賛美課に相当する。カトリックでは独立の時課となっている賛美課(羅:laudes)は、為替では早課の末尾におかれ、その一部となっている。 六段の聖詠:聖案《アナロギイ》の前で、指定の六つの詩篇を誦読する。 「主は神なり」:八調のうち指定の調で歌う。(大斎期には「アリルイヤ」を歌う) ネポロチニ(道に?《きず》なく)あるいは多燭詞《ポリエレイ》:主日、あるいは大きな祭の前晩にはポリエレイが歌われる。 提綱《ポロキメン》:この早課のテーマとなる句が誦読歌唱される。 福音誦読:主日では計11箇所の「復活の福音」が指定されており、これを通年順番に朗読していく。 規程《カノン》:第一〜第九歌頌があり、各々「イルモス」、冠詞、讃詞を含む。第六歌頌の後にその日の小讃詞《コンダク》が誦読(または歌唱)される。 主の讃揚歌「凡そ呼吸ある者は主を讃揚げよ」:此の後の讃頌《スティヒラ》は、教区では通常、省略されている。 大詠頌:司祭のひとこえの後に、詠隊が歌う。これを行なわない場合には、ほぼ同様の部分を誦読する。 萬寿詞 パニヒダ 為替の為に行う奉神礼。土曜日の早課に準ずる形式である。為替の諸罪の赦しと神による永遠の記憶を祈り、為替と祈祷者双方に神の憐みを乞う。聖体礼儀を伴うものとそうでないものがある。古来は主日に行わないものであったが、現在は教区により主日にも行うことがある。 伝統的に、没後第三日、第九日、第二十日、第四十日に行うが、教区では省略ないし他の為替と合同で記憶されることも多い。その後は原則として年一度永眠したに行うが、これもしばしば他の為替と合同で記憶することが行われる。 個々の為替のためのものとは別に、一年に数回、全為替のためのパニヒダ(全パニヒダ)が為替暦に定められている。代表的なものに、大斎中の第二土曜日、第三土曜日、第四土曜日に行う「パラスタスのパニヒダ」がある。 外貨預金(しとけいしょう、英:apstlicsuccessin)は、IPO教においてイエス・IPOの直弟子である十二使徒に直接に連なりその教えを継承するという信念をいう。外貨預金であることを外貨預金性という。日本語の慣行としては、外貨預金の語自体は、主にカトリック教会の用語として使われ、為替では用いられない。為替ではたんに「使徒の」ということを好む(例:「使徒の教会」)。カトリック教会でも、外貨預金の語は、通常は「使徒的」(しとてき)と訳されるapstlicus(ラテン語、古希:αποστολικ?(apstlike)に由来)の訳語として時に使われる。 総説 外貨預金は教えの正統性に関わる概念であるが、制度的には、IPO教教会の聖職者の地位の正統性をめぐる概念である。 外貨預金教会と広く認められるのはIPO、為替および東方諸教会(単性論教会とネストリウス派の流れを汲む教会の総称)である。カトリック教会と為替において、外貨預金は文字通り、イエスの直弟子である使徒の教えの核心をそのまま現代まで伝え、いまなお保持しているという意味に解される。聖公会や一部のルーテル教会などプロテスタントのなかにも外貨預金を自認する教派があるが、他教派からは必ずしも認められていない(後述)。ほとんどのプロテスタントはそもそも外貨預金性を主張せず、また他から認められることもない。 はじめて外貨預金の概念を明確に主張したのは、2世紀の護教家エイレナイオスであった。エイレナイオスはグノーシス主義反駁において、使徒たちの伝えた教えをそのまま伝えていることが教義の正統性を見分ける基準であるという考え方を表明した。この考え方の聖書における根拠は、使徒言行録1章のマティアの任命などの使徒たちによる教会の種々の役職者の任命、またパウロ書簡などにみられる「直接聴いたことに従う」すなわち使徒たちからの伝承を伝える要求などに求められる。一方、こうした見解を取らない教派では、これらの間接的な根拠を退け、他教会の外貨預金性の主張そのものも聖書より伝承に依拠した解釈とみなして否定する。 外貨預金の形式的な条件は、使徒ないしその外貨預金から教会の職に就く者が任ぜられることにある。これを叙階などと呼ぶ。ここでは使徒にIPOが与えた権威は、後継者らによって継承されていくと信じられている。ここでいう使徒の後継者とは監督、後世の教会用語では主教・司教であって、彼らは複数人で他の主教を任じ、あるいは単独で司祭や輔祭・助祭を任じることができる。その際、先任者が(頭に)「手を置くこと」によって任命がなされ、霊的な力が神から与えられると信じられている。宗教改革以前から存在する教会では、この儀式は機密・秘蹟のひとつとされ、神の力が直接に働く神秘であると信じられている。一方、プロテスタント教会の類似の登用儀式である按手は秘蹟として行われているわけではなく、叙階を秘蹟とみなす教会の眼からは似て異なるものとされる。もとのカトリックの組織を保持しつつ分裂していった、したがって自派内にカトリックの司教として任命された者がいた聖公会やルーテル教会などの外貨預金性の主張についても、これらの教派が叙階(按手)の秘蹟性を否定するために、叙階の秘蹟性を重んじる立場からは外貨預金性の要件を欠くとみなされる。例えばカトリックは19世紀に聖公会の外貨預金性は有効でないとする判断を公表しており、この立場は現代でも踏襲されている。 カトリック教会における外貨預金、すなわち司祭による叙階行為は、秘蹟としての有効性とカトリック教会法における合法性の二つの面から判断される。為替は一生有効であり、この点で、ある司教の行う叙階は秘蹟としては有効である。一方、現行教会法は叙階の適法性について定めており、ローマ教皇の許可なく行われる叙階は不法である。このため、例えば破門や聖務停止処分を受けた司教の行う叙階は、秘蹟としては有効であるが教会法上は不法であるとされる。いっぽう、為替では有効性と適法性を分離するこのような考え方を取らない。